上田宗箇の墓

上田宗箇の墓は、串山の小山の上にあります。豊臣秀吉に仕え、数度の戦功により豊臣の姓をもらい摂律の令になる。また宗箇は、上田宗箇流茶道の流祖として知られています。

トップページ > 名所・歴史 > 上田宗箇の墓

上田宗箇の墓(うえだそうこのはか)

上田宗箇の墓 写真

上田宗箇の墓は、串山の小山の上にあります。
宗箇は幼名を「佐太郎」後に「重安」といい、織田信長の重臣丹羽長秀に仕え、
長秀が没すると豊臣秀吉に仕え、数度の戦功により
豊臣の姓をもらい摂律の令になりました。

関ヶ原の役ののち、紀州の浅野氏に招かれ、元和5年(1619年)
長晟の芸州(広島)移封のとき、従って移り、
佐西郡(旧佐伯郡)緒方村(現在の大竹市小方)に一万七千石をもらいました。

翌年、所領の浅原村(現在の廿日市市佐伯の浅原)に一時
隠棲しましたが、国事にあずかり、晩年は茶の湯三昧で、
慶安3年(1650年)5月、88歳で没しました。

遺骸は大野村(旧 大野町)串山で火葬にし、遺骨はこれを砕いて
大野瀬戸に流し、遺髪を埋めて塚とし、松の木を一本植えました。
従って宗箇の墓には墓石はありません。

ちなみに宗箇は、上田宗箇流茶道の流祖として知られています。

上田宗箇の墓 入口

上田宗箇の墓 行き方 地図
クリックで地図を拡大 / Googleマップで場所を確認

名所・歴史 「名所・歴史」へ戻る
史跡めぐり 「史跡めぐり」 コースのご案内

ページトップへ
カキナビ - 廿日市観光協会大野支部 カキナビ トップへ 観光パンフレット ダウンロード カキナビ ブログ はつかいちネット イベント 廿日市観光協会 廿日市観光協会 大野支部 広島 ホームページ制作