誓真大徳の墓

誓真大徳は、杓子(しゃもじ)の製法技術を島民に教え、現在の宮島細工のもとをつくった人物で、宮島の島民が生活できるように井戸を掘り、道を整えるなど、宮島に大きな影響を与えた人物で、宮島の恩人とも呼ばれる人です。

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誓真大徳の墓と、宮島杓子

誓真大徳の墓と、宮島杓子の歴史

誓真大徳は、杓子の製法技術を島民に教え、現在の宮島細工のもとをつくった人物で
宮島の島民が生活できるように井戸を掘り、道を整え町並みに賑わいわもたらすなど、
宮島に大きな影響を与えた、宮島の恩人とも呼ばれる人です。

誓真大徳 は、25歳まで「村上大徳」として
広島市大工町(現在の堺町付近)にて米屋を営んでいました。

ある日婦人が米を買いに来て、お金の代わりに小さな子供の着物を出し
お米に代えて欲しいと頼んできた。その服はまだ温みがあったため理由を聞くと、
寝ている子の着物を はぎ取って来たのだといいます。

               

大徳はこれを聞いて哀れに思い、米を与え着物も返した。
世には、このような不憫な人が多い事を思い、世の中を救おうと仏門に入る決意をして、
大徳は宮島に渡り光明院・了単上人の弟子入りし、剃髪し「誓真大徳」となる。

当時、島民の人口は年々増え、収入がこれに伴わないので
生活に苦しむ者が多くいました。そこで誓真大徳は自ら山に入り材を取り、
種々工夫をこらして厳島大明神の弁財天の琵琶の形をヒントにした
杓子作りを島民に教えました。

この杓子の製法を島民に伝え、みやげ物として売らせたことが
今の「宮島杓子」の誕生の由来となっています。

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