任助親王御墓(にんにょしんのうおはか)

JR宮島口駅の西側にある踏切を、国道2号線側から渡ってすぐのところに任助親王御墓があります。任助親王が生前、赤崎の風景を愛したその地に墓所を作り、昭和16年4月、宮内庁発表で正式に赤崎御室を墓所と確認し決定されました。

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任助親王御墓 (にんにょしんのうおはか)

任助親王御墓 写真

JR宮島口駅の西側にある踏切を、国道2号線側から渡ってすぐのところに
任助親王御墓があります。地元では「お室さん」と親しみ呼んでいます。

お墓の正面には「厳島御室」、右面に「天正十二年甲申歳十一月二十九日」
(天正12年 = 1584年)、五輪塔の中央水大には梵字で「阿」の字を刻んであり、

大野町に現存する金石文(きんせきぶん:金属や石などに記された文字資料)
では、一番古いものとなります。

任助親王御墓 写真

任助親王は伏見宮貞敦親王の第四子で、後々、奈良天皇の御猶子となりました。
天文8年(1539年)御年15で出家し、京都仁和寺門跡二十世をつがれました。

晩年には九州地方御法流再興を思召し立たせられ、
はるばる宮島まで御下りになって大聖院にお立ち寄りになりましたが、
同寺良弁の遺弟良政がまだ幼く、法務に堪えないので示論教授の為にしばらく
御止まりになりました。

当時の人たちは、厳島御室様といって敬慕しておりましたが、
突然病に伏せられ、座禅のままお隠れになったと伝えられています。
御年60歳でした。

親王は生前、対岸の赤崎の風景を愛され、いまの御室や間の麓に桜の木を
御手植えになり、墓所と定められたと言い伝えています。

任助親王御墓 宮内庁の案内 写真

昭和16年4月、宮内庁発表で赤崎御室を墓所と確認、決定されました。

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