宮島口周辺は昔、墓地でした

宮島への玄関口、宮島口周辺は古くから「赤崎」と呼ばれており、昔は宮島で亡くなった人の墓地があった場所でした。明治30年(1897)9月に宮島駅(現在のJR宮島口駅)が誕生したのをキッカケに墓地を移転、その後 駅前通りが整備され宮島桟橋などが出来ました。

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宮島口周辺

宮島口周辺の風景

宮島への玄関口、宮島口周辺は古くから「赤崎」と呼ばれていました。
(佐伯郡廿ケ村郷邑記文化3年1806に記載)
赤崎の赤は「血の色」ともいわれ、「墓崎」が「赤崎」に変わったのだとも言われています。

 

昔はこのあたり一帯には墓地があり、キツネも住んでいるような草原で、
現在のJR宮島ロ駅前から桟橋に到る宮島商店街の一帯には大きな墓地があり、
その横をわずかに小さな道が海に向かって延びているだけでした。

そこにあったお墓は主に、宮島の人たちのもので、
宮島の人は亡くなっても島内に埋葬することが出来ないため、
対岸のこの地が墓地になりました。

このあたりを「宮島口」と呼ぶようになったのは、昭和17年4月1日で
当時の宮島駅が「宮島口駅」に改称されたことがキッカケ。
今では、宮島口周辺を「赤崎」と呼ぶ人は少なくなりました。

 

鉄道は明治5年(1872)、東京・横浜間で開通して以来、次第に西に延びて
明治27年に広島に達しました。明治30年(1897)9月25日、広島・徳山間が開通、同日
宮島駅(いまのJR宮島口駅)が設置されます。

この当時の大野村長、中丸次兵衛氏は 出来たばかりの宮島駅の
駅前に残っていた3000基余りのお墓を、移転することを約束し、
6年をかけてこれらの墓を御室山に移し、困難な移転を成し遂げました。

お墓の跡地には、細い小道だった通りを幅員9間(16.2m)の駅前大通りとし、
宮島への玄関口となる桟橋や船着場が作られ、現在の姿となっています。

現在でも宮島口の多くの土地は、駅の北方にある曹洞宗延命寺の土地となっています。

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